20代後半になって

奇奇怪怪というポットキャストで30歳と20代前半の感覚は違うという話をしていた。

 

話の流れは流行りの感覚とか、エンタメの話だった覚えがある。

車の中で流し聴きしてたからうろ覚えだけど。

 

20代前半は学生が終わり社会人になって、新しい経験をたくさんする時期だと思う。

 

その時期に経験したことは社会人として生きていく上で大きな財産になるだろうし、きっと年をとっても変わらない価値観もいくつか身につけると思う。

 

自分のその時期に思う感覚はどんなんだったんだろうと振り返ってみると、

学生気分がやや抜けていない割と自分本位な人間だったと思う。

 

20代後半になって、大人になったというとかっこつけた言い方になるな。普通になったという言い方の方が当てはまるかもしれない。

 

夫と父親という役割が人生の中で大きな自分のアイデンティティになって、その中で家族を養うためにある程度普通になってしまっているような感覚がある。

 

挑戦する時期というのが誰の人生にも何度かくる気がしているんだけど、自分にとっては20歳のフランスに留学した時と、22歳で長男が生まれた時な気がする。

 

フランス留学は今の仕事とかにはまったく影響がないから、親には申し訳ないことをしたと思うけど国外の普通の生活を見れたことは大きかったと思う。

 

それに20代前半で早めに親になって、そのことで経験できたことは自分の財産だと思う。

 

いまは子供が生まれたからこそ、挑戦したり頑張っている姿を見せたいとも思う。

 

挑戦する人はいつでも挑戦するし、挑戦しない人はいつになっても挑戦しない。

という単純な話かもしれない。

 

社会的な役割が自分を構成するアイデンティティのひとつになっても挑戦することはやめたくない。

 

30歳までに働き方改革(サラリーマン以外の収入を得ること)と経済的自由を目指す。

これは普通のサラリーマンが普通じゃなく生きたいというぼやきであり決意であります。

 

がんばる。

同僚のこと

今の仕事はマンション改修工事の現場監督。仕事では監督とは言わないけど。

 

工事期間は任された現場に常駐するから、同僚と会う機会は現場と現場の間の1ヶ月とか社内検査に同行したときだけとか。

 

会社に入って6年目とかだけどなかなか他の現場代理人とはじっくり話す機会がない。

 

今は現場と現場の間だからいろんな現場に検査とかで行ったり、会社で事務作業してるけど6年いてもほぼ話したことない人とそれなりの時間話す機会が増えた。

 

話すことでなかなか気が合いそうだと思う人がいたり、イメージと違うっていうギャップを感じたりで面白い。

 

やっぱり同じ会社にいるならそれなりに横のつながりは必要なんじゃないかと思う。

孤独感を感じてるわけじゃない。

 

でもその会社に居続けようと思うためにはお給料はもちろんだけど、社内の雰囲気とかが大きいと思う。悩みなんて人間関係がおおかた占めるっていうんだから。

 

1年前から一応グループの長になったわけだし、現場サイドのフォローのし合いを増やして、しんどくならないような環境にしたい。と思った。

 

なんだかんだお給料がうまいこと上がってくれればそれだけで離職率とか、社員のやる気は出ると思うけども。

 

仕事する時間は人生の中でもなかなかの時間占めてるし、よりよくなるなら変化した方がいい。

 

今日半日いっしょだった同僚がとてもいい人だったと思った話でした。

家族で見るアニメ

サトシが卒業してから始まったポケモンを見てる。

 

家族全員で見るテレビってめずらしいなって思った。

 

今はテレビ見るってなったら子供達はYouTubeでゲーム実況見るしそれに興味津々で一緒に見るってことはなかなかない。

 

子供の頃家族揃ってみたテレビなんてあったかな。

 

子供時代のおれら兄弟が見たいテレビと親父が見たいテレビは絶対に一致しなかった記憶。

 

そういうのも含めて家族でポケモン見てるの平和でいいな。

 

ポケモン可愛いし。出てくる登場人物もめちゃくちゃ嫌なやついないし。平和。

 

今日10話をみててオープニング曲のドキメキダイアリーの歌詞でいいなって思った一節があって、

「いってきますを声にできたならちょっとだけ大人になったかもね」というところ。

 

ちょっとだけ大人になった瞬間。

主人公は学生だけど旅に出ることを決めて、お父さんにそれを伝えられた瞬間だったんだと思う。

 

自分の中ではいつだろう。

始めて美容院行った瞬間とか

始めてバイトの給料が振り込まれた時とか

自分のお金で自分のもの買った時とか。

 

振り返ると小さい経験が子供から大人に変わる瞬間だったのかもしれない。

 

気づけば30歳も目前になっていて、それでも中身は10代の頃からあまり変わらない気がするけど、少しずつ経験したことが自分を大人にしている。

 

振り返らないと自分の変化には気づきにくいけど、できるようになったことが自信につながってる。

 

子供達にもいつのまにかできるようになったことを、親目線から伝えてあげて、こんなにできることが増えたって気づかせてあげれたらいいな。

長男6歳の誕生日

今日は長男が6歳になった。

 

気づいたら親になって6年経った。

6歳ってはやいな。

もう完全に物心ついとるやん。

 

ふとした時に身長とか話し方とかが成長してて、時間が経つ速さを感じる。

 

 

今日は夫婦で仕事休みとって家族ででかけようって言ってて、1週間くらいまえからどこに行きたいか長男と話し合った。

 

最初はレゴランド

名古屋まで片道4時間半。だがしかし、子供の誕生日だ。運転頑張ろう。

って思ってたら、やっぱりやめると。

 

次は富士山近くのぐりんぱ

ここも今ぐらいの子供達にとってはめちゃくちゃ楽しそう。

親としてもここを推薦した。片道2時間くらい。

でも昨日の夜やっぱりやめると。

 

寝る時にはポケモンセンター行くべって話になって、せっかくなら行ったことなくてでかい池袋にすっかって話してたら、今朝やめると。

 

結局近場の室内釣り場とゲームセンターに行きたいということで、ドライブにもならない近場にまとまった。

子供が行きたいところに行けてよかったけど、コロコロ変えられるのはなかなか大変だった。

 

普段より子供たちが自由に過ごせたような気はするから、少しでも特別な日って思ってくれたらいいかな。

 

帰ってきてからは素人に毛が生えたレベルの、専門学校卒自作ケーキを食べてお休みしました。

 

遠出もしてないし、特別な場所には行かなかったけどいい日だった。

progate 道場コース

5月に入ってプロゲートの月額契約して地道にWeb制作の勉強を始めている。

 

やっぱり新しいこと覚えるの好きだし、勉強楽しいーーーってなるタイミングもあるんだけど、今日道場コースやってる途中にどうしても次にいけない場面が出てきて心折れそうだった。

 

ただ単純に文字の透明度が違っただけなんだけど、それに気づくまでにめちゃくそ時間がかかってしまった。

ちょうど今その地獄から解放されたので、その達成感を記録しておきます。

 

頑張りまっする。

サンクチュアリを見た

3日間でNetflixの「サンクチュアリ聖域」を見た。

 

この題名だと相撲ドラマって全く分からん名前だな。

 

www.netflix.com

 

相撲は親父が好きだったって印象があるだけで、興味を持ったことは一回もなかった。

でも昨日見終わって、今日はYouTubeで相撲動画めちゃくちゃ見た。

 

力士かっこええ。

 

ドラマの見どころは、主人公の猿桜(えんおう)の力士としての成長と周りの力士のキャラクター性。

主人公役の一ノ瀬ワタルさんすげえ。最終話の蹲踞(そんきょ)してる姿かっこよかった。安定感が本物の力士感で溢れてた。

 

メイキングもみたんだけど、体作りと稽古がかなりハードだったみたい。

前半はだらしなめに体作って、後半は締まった体にするっていう難易度高い役作り。

 

youtu.be

 

相撲の立ち会いが面白いってことを発見できてよかった。

番付も調べたら面白いし、三役は怪物級に強いってことがこのドラマ見て知った。

 

ドラマの中にはメインキャラの相撲に興味ないライター役がいてくれて、主人公の立ち会い・稽古の姿を見て徐々にに心が沸く感動を共有してくれる気がする。

 

 

一気に見終わって、ふと礼儀とか礼節の重要性ってなんなんだろうと思った。

 

前半は礼節なんてクソ喰らえってスタンスの主人公が、最後は敬語で真摯に相撲に取り組む姿勢が強く印象的だったから。

 

礼儀がなく人と接すると拒否感が生まれる。人間だもの。

ドラマの中でも周りから強くあたられたり、引退勧められたりしてた。

 

でも礼儀があれば、人から知識とか経験を教えてもらう・盗もうとする時にそれが潤滑油になって回り回って自分のためになる。

 

あとは単純に礼儀のある所作は見た目が美しくなる。

これはメリットとかではないけどでかい。応援したくなる。

 

昔から続く武道や神事にはなぞの礼儀作法が多く残ってるだろうけど、どれも必要だから残っているんじゃないかと思う。

 

こんな美しい相撲ドラマを見れたこと、これが世界中で見られていることは日本を誇れる一因になる気がした。

 

体作り大変だと思いますが、シーズン2お待ちしております。ちゃす。

じいちゃんの日記

何年か前に母方のじいちゃんが亡くなった。

 

小さい頃は、じいちゃんは静かで優しいっていうイメージだったけどばあちゃんとか母さんから話を聞く限りではちゃんと昭和の男性って感じだったな。

 

人によるけど、親族でも全然その人のこと知らないってことが多々ある。

 

じいちゃんがどういう考えだったのかっていうのを唯一知れた気がしたのが、遺品の中にあった日記。

達筆で結構マメに日記をつけてた。

 

こんな字なのかとか、じいちゃんから見た家族のこととか、色んな発見があったけど、何よりその人の歴史が文字で残っているのが貴重だと思った。

 

自分もじいちゃんも街に出たら景色の一部になるけど、やっぱり人それぞれ歴史がある。

日記っていう誰に見せるわけでもない文章が、ある程度の年月分記録されていくとそれはその人の史料になるし、その人特有の人生があったことを再認識させてくれた。

 

日記を続けられる人なんて存在するんだなあっていう凄みと、日記の積み重ねが伝記みたいになるのかっこいいなと思う。

 

今読んでる本にちょうど今日、

 

日記に無理して内面的なことを書こうと思わなくていい

客観的に見て起きたことを箇条書きとかでもいい

 

というようなことが書いてあって、日記のハードルを下げてちょっと深く考えたいことがあった日だけ文章書くくらいでいいのかも知れないと思った。

 

日記のことが書いてあってふと思い出したじいちゃんの日記でした。